俺たちのガンダム・ビジネス

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俺たちのガンダム・ビジネス[編集 | ソースを編集]

アニメロボットにスケールモデルの手法を持ち込んだ、ガンプラの勝利の物語。

ガンプラの開発者とライセンスを取った営業担当者による本で、『俺たちのガンダム・ビジネス』というよりも『俺たちのガンプラ・ビジネス』。

仲吉昭治松本悟

登場人物[編集 | ソースを編集]

松本悟
バンダイ模型の技術部次長。ガンプラ企画の生みの親。
仲吉昭治
模型での商品化権を取るべく努力した、バンダイ模型の特販部次長。

用語[編集 | ソースを編集]

メモ[編集 | ソースを編集]

  • 2006年度、バンダイナムコグループは、ガンダム関係だけで550億円。えらい市場規模だな。
  • バンダイ模型がいかにして誕生したか。
  • 倒産した今居科学が元になった子会社バンダイ模型の男たち。バンダイ本社模型営業部との確執。玩具の販売不振で、売れないキャラクターと業界が判断したガンダム。10月を過ぎて、出足の悪さに焦るものの「お年玉で子供自身が買う商品だ」との信念の元、開発者さえ営業に回った先での小売り店の表情には「ガンダムは正月まで持たない」との認識が見て取れた。そんな矢先、劇場版の放映が決定する……。予想を超えた売れ行きに、赤字の中の決断で建設されていた新工場をもってしても生産能力は追いつかない。いやはや、プロジェクトXのノリですね。
  • スケールモデルでの成功を架空のものにも適用するという手法を宇宙戦艦ヤマトで成功させ、マニアからの手紙で得た要望をもとにガンダムに挑戦するスリリングな経緯。
  • 工場はあちこちに外注していて、その工場に子供が侵入して盗み出そうとしたりというのがなんどもあったらしい。まあ、当時、旅行中に近所のやつが風呂場から侵入してコレクションを盗んだ経験もありますし、あの時代の子供の行動としては、そんなもんか。
  • SDガンダムってのは模型情報への高校生の投稿が発端だったとは。そしてその人は、のちに仕事としてSDガンダムのデザインに携わったりしたのね。
  • MSVが模型主導ってことの意味が分かった。
  • ファーストはクローバーがスポンサーで、ガンダムの初期にはバンダイが関っていなかったというのが、ものすごく意外でした。知らなかった。
  • 機動戦士Ζガンダム以降がバンダイの意向なわけですね。
  • 1/144という「スケールモデル」としたというのも、もめた提案で、これがあったからジオラマを作ったりという楽しみがガンプラを勝利させたわけですか。当時はサイズは同程度で縮尺はメカによってバラバラ。縮尺を統一するのではなく値段を統一していたそうな。

書誌情報[編集 | ソースを編集]

話題まとめ[編集 | ソースを編集]

チャットログ[編集 | ソースを編集]

http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write/2007/10/20071027.html#110001
最初のガンダムにはバンダイはタッチしてなくて、なので版権を取るのにかなり苦労したのでした。「ガンプラの開発側」からみたガンダムの話でした。

資料リンク[編集 | ソースを編集]

リンク[編集 | ソースを編集]